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問い 2

今ある古い街並みは、これからも残るの?

私たちが旅行などで訪れる「古い街並み」は、なぜ今日まで残ってきたのでしょうか。そして、それはこれから先も残っていくのでしょうか。

まず、「残った理由」を考えてみましょう。代表的な例として、長野県の妻籠宿や奈良井宿があります。これらは江戸時代、旧中山道の宿場町として栄えた町です。徒歩の時代には、馬籠峠や鳥居峠といった険しい峠を越える前の休憩地として大きな役割を果たしました。しかし明治時代に鉄道が開通すると、峠を越えることは大きな障壁ではなくなり、宿場町の優位性は失われました。さらに戦後のクルマ社会の到来によって、新しい国道は旧道を避けて建設され、交通の流れは完全に町から離れてしまいます。こうして町はにぎわいを失い、建物の更新も進まず、時代から取り残されたように古い町並みがそのまま残ったのです。

妻籠宿(長野県南木曽町・重要伝統的建造物群保存地区)
奈良井宿(長野県塩尻市・重要伝統的建造物群保存地区)

同じような現象は瀬戸内海沿岸の港町でも見られます。北前船の時代、風待ちや潮待ちの港は人と物であふれ、にぎわっていました。しかし近代以降は鉄道や道路輸送が発達し、離島や半島の先端などは交通の便が悪い「陸の辺境」となってしまいます。結果的に経済的な発展から取り残され、昔ながらの家並みが姿をとどめることになったのです。

御手洗(広島県呉市・重要伝統的建造物群保存地区)
御手洗(広島県呉市・重要伝統的建造物群保存地区)

このように、古い街並みが残る背景には「繁栄して更新され続けたから」ではなく、むしろ「交通や経済の中心から外れ、時代に取り残されたから」という逆説的な理由があることがわかります。

しかし、残ったからといって自然に守られるわけではありません。町のにぎわいが失われれば、建物の修理や維持にかける費用も不足し、空き家が増えていきます。そこで国や自治体は「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」に選定し、修理の補助金を出すことで維持を支援しています。妻籠宿もその代表例の一つです。ただし、補助金だけに頼っていては限界があり、観光や新たな産業を生み出して経済的に自立することが不可欠です。観光客が訪れるからこそ、地元の人々も誇りをもって建物を守り、町並みが未来に受け継がれていくのです。

さらに近年では、江戸や明治だけでなく、昭和の戦後期に形成された町並みや建物も保存の対象になりつつあります。高度経済成長の時代に建てられた商店街や団地なども、今や半世紀以上の歴史を持つ存在となりました。これらをどう評価し、未来に残していくかはこれからの大きな課題です。

結局のところ、古い街並みを残すかどうかは「その町にどんな価値を見いだし、次の時代にどう活かすか」という人々の意志にかかっています。行政の支援だけでなく、観光やまちおこし、村おこしといった新しい取り組みと結びつけてこそ、古い街並みは単なる「過去の遺物」ではなく「未来につなぐ文化資源」として生き続けていくのです。

つまり「今ある古い街並みは、これからも残るのか?」という問いに対する答えは、「放っておけば消えてしまうかもしれないが、人々が価値を認め、支え続ければ未来へ受け継がれていく」ということになります。街並みを守るのは、制度や建物そのものだけでなく、それを大切に思う私たちの意識と行動なのです。

この問いを書いた人

建築保存活用研究室

野村和宣 教授

建築の保存活用により歴史を継承するまちづくりを考える。
建築保存活用研究室
建築保存活用, 継承デザイン, 都市再開発, 歴史的景観

この問いに関連する主な科目

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この問いのヒントになるコンテンツ

西村幸夫監修「日本の町並みⅠ・Ⅱ・Ⅲ」平凡社

https://www.heibonsha.co.jp/book/b164024.html
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