問い 5
まちや建築にも「記憶」があるの?
「記憶」と聞くと、多くの人は自分自身の体験や思い出を思い浮かべるでしょう。たとえば、ある懐かしい音楽を耳にしたとき、一気に子どもの頃の出来事や友人との時間がよみがえることがあります。それと同じように、まちや建築にも「記憶」が刻まれているのです。
建物やまちには、そこを訪れた人、生活した人、働いた人など、数え切れないほど多くの人々の体験が積み重なっています。つまり、まちや建築の「記憶」とは、単に目の前に残っている形そのものではなく、そこで過ごした人々の思い出や体験が重なってできあがったものなのです。これは、そのまちや建物が持つ「唯一無二」の財産だといえるでしょう。
この「記憶」は、建築を設計したり、まちづくりを進めたりする際にも重要な役割を果たします。なぜなら、新しく建て替えたり、リノベーションをしたりするときに、その場に刻まれた「記憶」をどのように受け継ぐかによって、人々がその場所に親しみを持ち続けられるかどうかが大きく変わるからです。もし過去の記憶を無視してしまえば、そのまちは急に見知らぬ場所のように感じられてしまうかもしれません。逆に、記憶を丁寧に継承することができれば、新しい姿になっても人々は懐かしさや安心感を抱き、再び訪れたいと思うのです。
具体的な例を挙げてみましょう。東京・銀座にある歌舞伎座は、日本を代表する劇場の一つです。長い間「歌舞伎の殿堂」として多くの人に親しまれてきましたが、耐震性の問題から保存が難しくなり、やむを得ず建て替えられることになりました。単純に考えれば、最新設備を整えた劇場にすれば十分だと思うかもしれません。しかし、多くの人にとって歌舞伎座はただの建物ではありませんでした。繰り返し足を運んだ観客にとっては感動の記憶が宿る場所であり、役者にとっては自宅のような存在、そしてスタッフにとっては誇りを持って働く舞台でもあったのです。そこには数え切れない思い出が詰まっていました。


そのため、新しい歌舞伎座の設計では、単にモダンで便利な劇場を目指すのではなく、旧歌舞伎座の外観や内部の主要な意匠を受け継ぐことが重視されました。白い城のような外観や劇場特有のきらびやかな雰囲気を残すことで、訪れる人々が「昔の歌舞伎座に帰ってきた」と感じられるように工夫されたのです。完成後、多くの観客や役者から「懐かしい」「ここに帰ってこられた」という声が聞かれたといいます。これはまさに、建物に刻まれた「記憶」が新しい空間にもしっかりと受け継がれた例といえるでしょう。


このように考えると、まちや建築の「記憶」は決して抽象的なものではなく、人々の心に生き続ける大切な財産であることが分かります。新しいまちや建物をつくるときには、単に効率や利便性を追求するだけではなく、そこで暮らしてきた人々の思い出や体験をどう受け継ぐかを意識することが必要です。そうすることで、そのまちや建築は単なる「新しい場所」ではなく、過去と未来をつなぐ「懐かしさを持った場所」として生き続けることができるのです。
この問いを書いた人

建築保存活用研究室
野村和宣 教授
建築の保存活用により歴史を継承するまちづくりを考える。
建築保存活用研究室
建築保存活用, 継承デザイン, 都市再開発, 歴史的景観
この問いに関連する主な科目
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